「幸せだと思おう」と思っても、思えないことがあります。
それは自分らしい生き方をしないで、無理をして生きているからです。
たとえば自分はタンポポなのにバラになろうとしたり、ネコなのにトラになろうとしたりすると、無理をするから苦しくなっちゃう。
要するに、世間が言う幸せを幸せだと思って、それを自分にあてはめようとしているから苦しいんです。
これは私がよく言う例なんですが、鮎は清流が好きです。
ドジョウは水が濁っているところが好きです。
どっちが正しいんですか?って聞かれても、どっちも正しいんです。
鮎のいるところが正しくて、ドジョウがいるところが間違っているなんてことはない。
でも世間は清流が正しいって言うんです。
それを間に受けて、ドジョウが清流に行ったら、苦しくてたまらない。
私は会社をつくって、日本で納税額一番に選ばれるくらいとても豊かになりました。
そんなにお金をもうけたら、ふつうは都心に大きなビルを建てて、社員をたくさん雇って、豪華な社長室をつくるのかもしれない。
だけど私は自分が生まれ育った東京下町の新小岩にいるのが好きなんです。
ドジョウと同じで、おしゃれな都心より庶民的な下町が好き。
新小岩の居酒屋で、チューハイを飲んでいるのが幸せなんです。
鮎に「ここに来い」とは言いません。
あなたが鮎なら、都心にきれいなビルを建てて、そこにいればいい。
私は下町の商店街を楽しく散策しているのが好き。
ここにいるのが私の幸せなんです。
鮎もドジョウもどっちも幸せ。
どっちが正しい幸せ、だなんて言えません。
幸せななりたかったら、自分らしく生きればいい。
タンポポなら、バラの花を咲かせようと思わないで、タンポポの花を咲かせたらいい。
それぞれの花を咲かせれば、人は誰でも幸せになるんです。
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