命という光がこの考え方のフィルムを通して、現実となって映し出されている

「私は不幸が続くのです」と言う人がいます。

そういう人の考え方のフィルムには不幸という傷があり、そのフィルムがそのまま現実となって目の前に映し出されます。

そのうえ、傷はどんどん大きくなってしまう。

なぜかといえば、傷を負った現実は、そういう現実をまた作る。

すると、それが自分にフィードバックされて、「やっぱりそうだ」ということになって、傷が広がったフィルムが作られて、それをまた映し出す。

悪循環が起こって、フィルムの傷はどんどん大きくなっていく。

だから、さらに不幸になるのです。

この世の中、一年間だって、春があり、夏があり、秋があり、冬があり、四季すら4回も変わる。

ずっと何年間も不幸だというのは、絶対不幸なフィルムを入れているからです。

これを替えない限り、幸福は絶対にやってきません。

ブッダも、キリストも、このことを話しています。

しかし、昔は映写機というものがないから、ものすごい難しい説明になっていただけなのです。

簡単に説明すれば、心と考え方だけ。

命という光がこの考え方のフィルムを通して、現実となって映し出されているということです。

だから昔から、「自分に起こることは100%自分の責任だと思いな」と私は言っているのです。

でも、思いを急に変えられないかもしれない。

それだったら、言葉から変えようと言っているのです。

「ツイてる」「うれしい」「楽しい」「感謝してます」「幸せ」「ありがとう」「許します」などの天国言葉。

天国言葉を使っていると、自然に心が変わってきます。

だけど、突き詰めて言うと、あなたの考え方が問題なのです。

あなたの心には、傷などついていません。

小さなころからさまざまなことがあったと思うけれど、心に傷なんて一つもついていない。

うまくいかないようならば、それは考え方に傷がついているからです。

うまくいっている人とうまくいっていない人を、よく観察してみてください。

考え方が違うだけです。

考え方というフィルムを替えないで行動だけを変えても、うまくいきません。

不幸のフィルムからは、不幸な事象しか起こらない。

不幸なことばかり起こると、そのうち怖くなって行動もできなくなってくる。

重要なことは、考え方のフィルムを替えること。

心は傷つきません。

今、あなたに起きていることは、あなたのフィルムが現実として映っているだけなのです。

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